天城連山を訪れたことから、天城山の歴史について振り返ってみました。
それぞれどのような関連性があるのか、訪れた場所と照らし合わせて
個人的な解釈をしてみようと思います。
題材は3つ
・伊豆の踊子 川端康成氏 著
・天城越え 松本清張氏 著
・演歌 天城越え 吉岡治氏 作詞
物語と天城の関連性をまとめてみます。(個人的見解)
①伊豆の踊子
20歳の高等学校の青年と14歳の踊子の物語
修善寺から下田までの道中を描いており、天城山というより伊豆高原を舞台にしている。
『旅芸人』一行には修善寺からの道中ですれ違い(一度目)、
湯ヶ島温泉で引き返してきた一行に遭遇(二度目)し、
おそらく一度目ですでに青年は踊子に恋をしていて、
この『旅芸人』一行の動向が気になりながら同行していく。
物語では二度すれ違った後、青年が追いかけていった道中、
一向に追いついた場所が天城峠ということで登場する(物語の冒頭)。
以降、天城に関連するところは出てこず、温泉街を舞台に青年の気持ちの葛藤が描かれている。
青年や踊子の気持ちをはっきりと表現しない作風なので、いろいろな気持ちを想像できる。
自分は文学に精通しているわけではないため、感想は月並みだが、
『身分の違い』『踊子の境遇』『青年の初恋』これらの中での
気持ちの葛藤がもどかしい作品と感じた。
『旅芸人』の職業はストーリーからはわからず仕舞いだった。
★天城連山は一舞台のため、感想で終わりです。
浄蓮の滝から河津までの道のりで、
伊豆の踊子に関連する石碑があったところの写真を並べています。
②天城越え
16歳の鍛冶屋の倅と酌婦という修善寺の売春婦の物語。
青年(少年?)は家出して下田から修善寺へ向かっている途中、
酌婦とすれ違い気になってしまったことと、一人心細く北上することに挫折し、
酌婦と同行しようと引き返し、下田へ向かっている道中で起こった殺人事件の話。
『今』はここから30年後で、当時わからなかった犯人がクリアになっていくミステリー。
殺人現場が天城峠付近ということで登場する。
自分は、犯人が誰なのか『今』に戻ってからフッと思いついたが、
『今』に戻る前の一文は秀逸な表現と感じた。
★この天城越えも天城は舞台の一部のため、感想で終わりです。
ミステリー作品なので、ネタバレしてしまったら申し訳ありません。。
③演歌 天城越え ※歌詞は検索サイト参照
女性から見た不倫の話。
天城峠付近を舞台に見立てた、気持ちの表現と想像する。
★情景を見ながら女性の気持ちを分析してみます。
天城峠が気持ちの盛り上がりを表現しているのではないかと前提を想像しました。
《1番》
殺したいくらいの盛り上がりの中、
『寝乱れて 隠れ宿 つづら折り 浄蓮の滝』
隠れながらも登り続け、浄蓮の滝へたどり着くことで、爽快な気持ちを表現しているのか、
はたまた、登り続けた結果、滝のように落下するような状態に陥ったのか、
天城峠をピークとすると、今は気持ち的にも登っていることを表現していると感じる
《2番》
相手からは別れると告げられている気持ち的にも下り坂となる2番。
『わさび沢 隠れ径(みち) 小夜時雨 寒天橋』
峠を越えたあとも隠れながら、冬の寒い時期の小雨のような気持ちの下り坂を表現しているよう。
わさび沢は山の中から谷を見ると段々と作られていることから、下を見る気持ちも入っていそう。
寒天橋は浄蓮の滝から見ると天城峠を越えて、下り坂に位置している。
寒天の『寒い』という字も下向きに感じる。
《最後とサビ》
『走り水 迷い恋 風の群れ 天城隧道』
最後の表現は、気持ち的にもピークのところを振り返っていると感じる。
走り水(田んぼで水量をコントロール)は、気持ちが出すぎないように、
迷い恋や風の群れは、方向が定まらないことを表しているようで、
位置を表す最後の天城隧道は天城峠の下に位置しているので、ピーク地点での気持ちと想像できる。
サビは、『何があっても、戻れなくても』峠を越えたい直接的な気持ちを天城峠になぞらえている。
『肩の向こうに見える山』は相手に向かって気持ち的に越えたい峠、舞台的には天城峠に見える。
今まで、親がよく聴いていた『天城越え』は何気なく歌としてしか捉えられていませんでしたが、
舞台となっている場所を車で訪れることで、その歌詞の意味をいろいろ想像することができました。
山登りや、一人旅をすることで、新たな観点で物事を考えられるのも気持ち的にすっきりします。
このような情報も、今後残していってみようと思います。
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